『ハウス・オブ・カード』 シーズン5 House of Cards season5



アメリカの大統領がトランプになり、満を持して配信されたシーズン5
聞けば、ショーランナーが降りたという。何か嫌な予感がした。

そして、予感は半分当たっていた。

なんで対抗馬のコンウェイはあんなに魅力のないキャラクターなのか?
なんで陰謀論みたいなのばっかりなのか?
なんで選挙をここまで引っ張るのか?
なんで政策ネタをやらないのか?
なんで簡単に人が死ぬのか?

なんで、なんで、

なんでダグはいつもダグなんだ!!!? ……………これはまあ、いいか。

制作者側の立場に立ってみれば、まさかのトランプ大統領で、現場が混乱したのかもしれない。脚本執筆が行われたであろう時期を考えると、選挙ネタで引っ張る以外、手がなかったのかもしれない。出演者のギャラ高騰で自由度が減ったこともあるかもしれない。事実、クレア役のロビン・ライトは、ケビン・スペイシーと同額のギャラを要求し、了承されたという。

それでもやっぱり、ショーランナーが変わったのは大きな痛手だったのではないか?数々の制約があったとしても、ピンチをチャンスに変えるのが才能だ。現実の政治があれほどまでに混乱し、予測不可能になり、ドラマよりも面白くなりかねないことは、脚本家にとってピンチではあるが、チャンスでもあろう。

シーズン6があるとしても、あまり期待はできない。

フランクが野に下ってどうするというのだ?政権内部の権力闘争が見たいのに。

と、まあ不満だらけのシーズン5だが、拾いものもあった。商務省から来たジェーン・デイビス役のパトリシア・クラークソン(Patricia Clarkson)と、コンウェイの参謀からフランク陣営に寝返ったマーク・アッシャー役のキャンベル・スコット(Campbell Scott)の二人が素晴らしい存在感を示している。

この二人をまた見てみたいという気もちょっとしている。

なんだかんだで、結局シーズン6もチェックしてしまいそうだ。



『カリフォルニケーション』Californication Xファイルの捜査官がLAで女性にモテまくる


数年前、カリフォルニアに行ったとき、ハリウッドのセレブの邸宅を回るバスツアーに参加した。邸宅に入れてもらえるわけではなく、2階建てのバスから邸宅の周りをぐるぐる回るだけのツアーだ。運転手兼ガイドの青年は、自分は脚本家志望でいまシナリオを書いていると自己紹介。いかにもハリウッドっぽい感じがしたものだ。

あいにく当日は雨で、バスの1階から外をぼんやり見るだけ。道路から邸宅を見るだけなので、正直あまり面白くない。バスはある崖の下で止まり、脚本家志望の青年がマイクを通じてこう言った。

「あの崖の上に柵があるのが見えますか? 黒い柵ですよ。木立の中に見えるやつ。あれがブラッド・ピットの邸宅の庭の柵です」

カリフォルニケーションの舞台は、そのハリウッドだ。主演はXファイルの捜査官モルダー役のデイヴィッド・ドゥカヴニー。オカルトおたくのシリアスな役柄とうってかわり、こちらは小説を書けなくなった小説家で、やたら女性にモテまくるという設定だ。

ハリウッドでセックス&ドラッグの放蕩三昧。ヘッドライトが壊れたポルシェを駆ってあちこちのパーティーに繰り出し、愛する娘と事実婚の女性とくっついたり離れたりの物語。


  
ある意味、男性の願望を体現するようなドラマなのだが、とにかく登場人物たちがすぐに裸になるのが特徴だ。大げさではなく、主人公のパートナーである女性以外の女性は、全員、潔く脱いでしまう。人気ドラマ、カリフォルニケーションへの出演オファーの条件が脱ぐことで、それをよしとする上昇志向の高い女優たちの根性が伝わって来る。

目覚めると、二日酔いで頭が痛い。隣の寝室に行くと、ベッドの上で裸の若い女性が3人寝ている。きれいなお尻が3つ。部屋には酒瓶と下着が散乱している。昨夜何があったっけ? この女たちは誰だ? パソコンを開くが、一行も小説を書き始められない。やれやれと思いながら部屋を片付け始めるが、目覚めた女性の1人に誘われて再びベッドに。

シーズン1を見始めたとき、そんな適当な物語のドラマがシーズン7まで続くとは驚きだった。物語がダレ始めると、魅惑的な女性たちが登場して服を脱ぐ。正直言って、それがシリーズを継続させる推進力になっている。


見続けているうちに、もしかしたらそれは日常生活でも同じことなのかと思い始める。設定が能天気なハリウッドなだけで、やっていることはみんな同じかも? セックスとか裸は、やはり偉大なのだ。海外ドラマが日常生活に伴走してくれる多次元空間だと定義するなら、このドラマは十分に成功している。

Xファイルといえば、モルダーの相棒、スカリー役のジリアン・アンダーソンが主演する『THE FALL 警視ステラ・ギブソン』も、Netflixで見ることができる。こちらはシリアルキラーを追う刑事の役柄で、カリフォルニケーションとは真逆の、シリアスな作品だ。

Xファイルは2016年、14年ぶりに新シリーズが製作されている。実生活でもセックス依存症だと報じられたドゥカヴニーは、いったいどんな顔で、再びオカルトおたくの役柄に取り組んでいるのか。役柄の落差が激しいだけに、いっそう興味が募る。


NHKは、ピーキー・ブラインダーズを絶対に作ることができない NHK NEVER be able to make "Peaky Blinders."


1920年代、英国バーミンガムを舞台にしたギャングの話である。
これをBBCが豪華キャスト、絢爛美術かつスタイリッシュな音楽と映像で制作している。

日本でいえば、NHKが「清水次郎長」を大河ドラマで撮ったというところか? 
大河ドラマ「清水次郎長」。実に心躍る題材だ。次郎長役は山田孝之あたりでひとつお願いしたい。

しかし、現実的に考えると実現はまず無理だろう。国に予算を握られているNHKが、反社会集団であるやくざの大河ドラマを作ることは考えにくい。仮に実現できたとしても、善良な視聴者からの苦情やネットでの炎上などが大いに懸念される。

一方BBCも、政府と結ぶ「協定書」により運営されていて、決してやりたい放題できるわけではない。しかし、どんな抵抗があってもモンティパイソンを放送し続けていた伝統は、今も脈々と受け継がれているのだ。このギャングドラマも問題なく作られた。そしてドラマは大ヒットし、第3シリーズまで放送されている。

余談であるが、BBCは昨年、英国の保守党議員が「BBCは放送終了時に国家の "God save the Queen" を流すべきだ」と主張した際に、それならば、と放送終了後にセックス・ピストルズの同名曲を流したことがあった。

このように組織文化がずいぶん違うBBCとNHKだが、受信料収入で成り立っていることは共通している。事業収入はNHK約7,000億円、BBC約5,000億円なので、両国の人口比から考えると、BBCの方が製作費に若干余裕があるかもしれない。

問題なのは、この予算規模の差に対し、ドラマ制作力の差が大きすぎることだ。役者、脚本、演出、美術、照明、音楽、どれをとってもNHKはBBCに大きく水をあけられている。

数年前に「平清盛」という大河ドラマがあった。リアリティを追求した絵作りをしていたようだが、これに対して以下の様な批判があった。

“「清盛、映像が汚い」兵庫知事が大河ドラマに苦情 2012.1.11 朝日新聞
兵庫県の井戸敏三知事は10日の定例会見で、8日から始まったNHK大河ドラマ「平清盛」について「画面(映像)が汚い。鮮やかさがなく、チャンネルを回す気にならない」と酷評し、NHKに改善を申し入れることを明らかにした”

地元を守るための政治的介入である。地元以外の視聴者はOUT OF眼中の発言である。

しかし今回、その問題は横に置いておこう。真の問題点はそこではないのだ。

つまりNHKは、おそらく普段ドラマを観ていないような「素人」の知事ですら、納得させることができていないということが問題なのだ。

知事にしてみれば、大河ドラマを三顧の礼で招き入れ、ロケ場所やエキストラ、弁当の手配等で至れり尽くせりしてきた。ところがふたを開けてみたら観光客が敬遠してしまうような汚い映像になっている。彼は落胆・憤慨し、思わず定例会見で改善を求めてしまう事態に至ったのである。

ピーキー・ブラインダーズにも貧民街のシーンは出てくるが、「汚らしい」撮り方はしていない。陰影のある抑えた色調が、リアリティを出しつつも美しい。これっだったら兵庫県知事も納得の出来だったのに。

NHKは受信料の徴収に非常に熱心であるが、そうして増えた受信料をぜひドラマの質向上にも投じて欲しいものだ。

イギリスのギャング時代劇について書くつもりが、なぜかNHK批判になってしまった。