『番外編』Netflix登場で変わったこと Big change after Netflix was born

Netflixのようなウェブ配信サービスというのは、ドラマの製作者に新たなプレッシャーを与えているのかもしれない。

自らを振り返ってみれば、途中で見るのをやめてしまった作品がたくさんある。

もうやーめたっ!と見切るまで、良くて30分、たいていは15分で決着がつく。「ナルコス」のように、1話で中断してから数か月放置した後に「ドはまり」してしまったものもあるが、そういうのは稀だろう。なぜなら、当たり前だが視聴者は義務で見ているわけではないからだ。途中放棄するのに容赦などしない。なんなら「金払っているのにこんなつまらんもの見せやがって!」ぐらいの勢いだろう。少なくとも私はそうだ。

しかし、それがNetflixのいいところでもある。我々がレンタルビデオ屋で映画やドラマを借りていたころは、数百円をドブに捨てる覚悟だったのだ。当時は、つまらないものを見てしまった落胆と怒りを感じないふりをして「数百円くらいしかたないさ、これがレンタルビデオ屋のスリルなんだから」などと無理やり思い込んでいたのだ。それが今や月数百円でいろんな作品が見放題で、途中でやめたものを数か月先に再開したって、延滞料も追加料金も取られないのである。私たちがレンタルビデオ屋にくれてやったムダ金とやり場のない怒りは何だったのだろうか、という話である。

CMがない上に、次の回を見るのに来週まで待たなくてもよくなったというのも大きな変化だ。たとえば「24」はCMのタイミングで経過時間表示が入り、それが場面転換のタイミングにもなっているのであるが、製作者側はそのような放送上の制約に縛られることがなくなった。また「前回のあらすじ的」な尺をその回の冒頭に挿入する必要もなくなった。視聴者側も、CMや1週間のブランクということに煩わされずに「イッキ見」ができる。

ところがこれは製作者側に自由を与える一方で大変なプレッシャーを与えているのかもしれない。「イッキ見」に耐えうるような作品をつくらなければならないからだ。従来のテレビドラマは、視聴率やスポンサーの意向が一種の指標となって、軌道修正しながら作ることができただろう。しかし今は10話なら10時間の作品を、全くの手さぐりで完成させなければならない。非常に博打的である。

幸い、Netflixは大変儲かっているらしいので、しばらく博打は続けられるだろう。10話作ったのに15分で見切られるかもしれない緊張感の中で。

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